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「このまま都会で働き続けていいのだろうか」と、ふと思ったことはありませんか。
フルリモートになって、住む場所の自由度が増した。でも、実際にどこかへ移住するとなると、何から考えればいいのかわからない。漠然と地方への憧れはあるけれど、一歩が踏み出せない。
そんな方に向けて、私たち夫婦がなぜ大分県日田市への移住を決めたのか、その道のりを正直に書いておこうと思います。
農業への憧れから始まり、複数の市町村を渡り歩き、想定外の出会いを経て、ようやく「これだ」というピースがはまるまでの話です。移住を検討している方にとって、少しでもリアルな参考になれば嬉しいです。
会社員で居続けることをやめようとしたきっかけ
仕事が一番しんどかった時期のことを、今でも鮮明に覚えている。
上司は厳しく、毎日何かを指摘された。監視されているような息苦しさが、身体の芯まで染み込んでいた。今すぐ会社を辞めてしまいたい。でも辞めた後の生業が、何も見えていなかった。
逃げ場のないもどかしさを抱えていたある夜、何気なく流していたYouTubeで一本の動画と出会った。
大分県の新規就農者たちを特集した動画だった。
その中に、竹田市の久住でキャベツとネギを栽培する若い夫婦が映っていた。
心が動いた。
久住は、昔から好きな場所だった。大分生まれで大分育ちの自分が、幼い頃から見て育ってきた景色。その久住で、悠々自適に農業を営む夫婦の姿。農家が決して楽ではないことは頭では理解していた。それでも、あの夫婦の暮らしは、心の底から羨ましかった。
翌日から、大分県で農業を始める方法を調べ始めた。
竹田市、由布市、そして日田へ
「新規就農」という言葉を、このとき初めて知った。
農業の世界に外から新しく入ることを、そう呼ぶのだと知った。県と市町村が連携した新規就農イベントに参加し、各地の農政課と接点を持ちながら、自分が農業をやれる場所を探し始めた。
最初の候補は、憧れの久住を持つ竹田市だった。
実際に市役所へ足を運び、竹田市でピーマン農家を営む夫妻とお会いした。「大儲けはしないけど、生活には困らない。組織の人間関係や時間に縛られない生き方が楽しいよ」というその言葉は、農業への憧れをさらに加速させた。
しかし現実も見えてきた。久住は標高が高く、植物系の農業には不向きだという。新規就農者には、先輩農家が多い農業区の近くでやる方がいいと。
そんな自分に、妻が冷静に言った。
「何を育てたいの?あなたは今、憧れだけで話してる。何を作り続けるかは大事なこと。それに、田舎すぎる場所は私は嫌かも」
確かにそうだった。何を作るか。どこに拠点を置くか。妻と納得して進められるか。そうした重要なポイントを全て置き去りに、理想だけで先へ進もうとしていた。
軸を立て直して、次に向かったのが由布市だった。
由布市でも数名の農家の方と面談した。その中で出会ったのが、農業法人で約10年キャリアを積み、満を持して独立就農したネギ農家の先輩だった。自分とほぼ同世代でありながら、県内の若手農家の中でも名の知れた人物。広大なネギ畑を見せてもらいながら、こんな話をしてくれた。
「何を作りたいかも大事だけど、自分の性格に合う作物がいい。あなたの性格は、緻密さや丁寧さに近いと思う。そういう人には果樹が向いてるんじゃないかな。よかったら、日田の農家を紹介しようか?」
日田で果樹、という選択肢は、それまでの自分の中に全くなかった。少し躊躇いはあったが、「ぜひ」と答えた。
ここで、日田との接点が生まれた。
日田という場所、ある農業リーダーとの出会い
由布市のネギ農家の先輩が紹介してくれたのは、日田農業界の次世代リーダーとも呼ぶべき人物だった。
日田の天領スイカというブランドスイカを作るスイカ農家でありながら、日田市農業委員会のメンバーとして、新規就農者への農業紹介や地域振興にも積極的に取り組んでいる人物だった。
会ったその日に、カリスマ性に惹かれた。
大企業の会社員にも引けを取らないリーダーシップ。懐の深さ。会話の面白さ。同世代でありながら、これほど圧倒的な存在感を持つ人間に、久しぶりに出会った気がした。
その方はこう言ってくれた。「日田は最近、新規就農者が増えてきて若手が頑張ってる。ぜひ入ってきてほしい。ITの強みを農業と掛け合わせて、新しい風を吹かせてくれ!」
仲間として迎えてくれたその言葉が、素直に嬉しかった。
竹田市、由布市、日田市と渡り歩いてきた。その中で、日田は明らかに違った。熱量のある若手農家たちがいて、信頼できるリーダーがいる。作物も、ぶどうに絞っていいかもしれない。同世代の新規就農ぶどう農家の先輩とも顔合わせをさせてもらい、日田のコミュニティへの期待はさらに高まった。
初めて、道が一本につながった気がした。
妻も「日田なら応援できる」と言ってくれた。
2024年11月末、大分市から日田市へ移住した。
移住してわかった現実
移住後、さっそく先輩農家たちの農園へ週末手伝いに通い始めた。農地の斡旋も動いてもらえるよう、農業リーダーの方とともに農政課へ働きかけた。
しかし現実は、思い描いていたよりも時間がかかった。
条件の整った継承農地はそう都合よく出てくるものではない。移住してみて初めてわかった現実だった。ここから先は、ある程度、運と縁の世界だと感じた。
「農のある暮らし」への憧れは変わらなかった。でも「農業」でなくたっていい。家庭菜園に毛が生えた程度であっても、もはやいいのだと思い始めていた。
全てのピースがはまった日
そんなころ、様々な縁によって、宅地転用可能な畑を買わないかという話が舞い込んできた。
この土地に家を建て、残りを畑として使えば、小さいながらも「農のある暮らし」ができる。しかも仕事はフルリモート。会社員を続けながら、毎日ゼロ距離で農作業もできる。
そこで、妻が言った。
「その家で民泊もしたら面白いよね!」
頭の中で、全てのピースがはまった気がした。
不動産事業と配当金が、安定したキャッシュフローを生み出す。自宅の一部で民泊を営む。家からゼロ距離の畑で農作業をする。体を動かして生きたい、なるべく長い間動ける身体で自由を謳歌したいという願いも、この形なら叶う。
全てのピースがはまった瞬間だった。
この形を目指そう。この形に名前をつけよう。
長い間、二人で話してきた生業の形。夫婦ふたりの名前を由来として、これを**Ryuka(リュカ)**と名付けた。
移住は「完璧な計画」より「動きながら見えてくるもの」
この道のりを振り返って、今思うことがある。
最初の憧れは久住での農業だった。それが現実と向き合う中で形を変え、妻の言葉に何度も軌道を修正され、計画ではなく人のつながりから日田との縁が生まれた。移住の決め手になったのは、土地でも条件でもなく、「ここなら」という感覚だった。
地方移住に正解の地図はない。でも「動きながら見えてくるもの」は確実にある。
これからも、その続きをここに書いていく。
Ryuka(リュカ)運営者 2026年 日田にて

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