大分移住の全記録|東京→大分市→日田市、会社員の5年間

移住・暮らし

「移住ブログって、たいてい移住直後の高揚感で終わっていて、その後の暮らしがどうなったか分からない」。そう感じたことはないでしょうか。私自身、そういう記事を読むたびに「で、5年後は?」と思っていました。

私は2021年に東京から大分市へ、2024年に大分市から日田市へと、フルリモート会社員のまま2回移住しました。転職はしていませんし、子育て世帯でもないので、その2つの観点はこの記事の範囲外です。その代わり、5年間・2回の移住を通じて、暮らしがどう変わり、お金の流れがどう変わったかをまとめます。あわせて、移住が会社員のままの事業づくりにどうつながっていったかも、できる限り正直に書きます。うまくいった話だけでなく、移住補助金の一部返還や、不動産投資でのトラブル、想定外の出費といった誤算も含めてまとめます。

この記事は、これまで書いてきた18本の個別記事のハブでもあります。個別のテーマは各記事にリンクで委ねます。ここでは複数の記事を横断してはじめて見える「5年間のお金の全記録」と「大分市時代3年間の総括」を新しく書き下ろしました。

決断——2021年、東京から大分市へ

東京から大分市への移住を決断する夫婦の後ろ姿

2021年、コロナ禍でのテレワーク定着をきっかけに、勤務先の制度で大分県が居住可能エリアになりました。「東京に骨をうずめるつもりはない」という夫婦共通の価値観もあり、結婚式・新婚旅行を終えたあと、ワーケーション形式で大分市の物件を探し、同年8〜9月に移住しました。決断から実行までの経緯は大分移住を決断した理由|会社員が動いた実録に詳しくまとめています。

移住にあたっては大分市の移住補助金も申請し、実際に受給しました。ただこの補助金には後日談があります。制度の中身と、その後の顛末は大分市の移住補助金を賃貸移住者目線で調べてみた記録で紹介しています。

大分市時代の3年間——「もっと田舎へ」が募っていった日々

大分市のマンションで暮らしながら県内をドライブする夫婦

大分市中心部のマンション暮らしは、率直に居心地が良いものでした。買い物はトライアル・ダイレックス・コスモスといった、関東ではあまり見かけない大型のディスカウントストアが中心で、まとめ買いに重宝したんですが、九州特有の店舗規模の大きさにはしばらく驚いていました。

温泉が近所に点在していて、ホテルの日帰り温泉やサウナ付きの施設を、ちょっとした風呂代わりに使う日もありました。大分市の温泉はウーロン茶色でとろみのある「美肌の湯」系が多く、無色透明よりも色や特徴のある湯の方が個人的には温泉らしくて好みだったんですよね。仕事終わりに徒歩10分強で映画館に行けたのも大分市ならではの気軽さで、レイトショーをふらっと観に行く習慣がありました。もともと自炊が得意だったので、自炊中心の生活はここでも自然と続いていました。

休日は妻と大分県内をよく巡りました。自分は大分育ちのつもりでしたが、他県出身の妻の方が穴場をよく見つけてきて、地元民ほど自分の県を調べようとしないんだな、という気づきがありました。津久見のイルカと泳げるパーク、豊後大野の「温泉が湧かないからサウナで町おこし」という逆張り戦略、豊後高田の昭和の町、そして久住から阿蘇へ続くやまなみハイウェイの景色は、日本中を旅した今振り返ってもトップクラスの絶景だったと思います。20年ぶりに再訪した高崎山自然動物園も、大分市時代ならではの週末の定番コースでした。神社の祭りや花火大会にも一通り顔を出し、暮らしを満喫していました。一方でマンション暮らしゆえ、地域との関わりはエレベーターでの会釈程度でほぼゼロでした。この「緩さ」は、後に日田で味わう地域行事の濃さとの対比になります。

2022年12月には、不動産投資の1棟目を取得しました。そこに至るまでの約1年、毎日物件サイトを見続ける日課があったんですが、これがそのまま相場観を養う訓練になりました。スーパーで野菜の値段を毎日見ていれば、その日の安い高いが自然と分かるようになるのと同じ感覚です。株式投資で培った利回り分析の視点を不動産にも応用し、机上の空論で終わらせず実際に内見へ踏み出したのは、株を始めたときも、副業を始めたときも、大分に移住したときも共通していた自分の行動力だったなと、今振り返って思います。

事業ローンを組んで一棟アパートを取得することになり、奨学金以外の借金経験がなかった自分にはそれなりの緊張がありました。ただ実際には、満室状態で購入したにもかかわらず、台風でのフェンス破損、雨漏り、短期間での複数室同時退去、退去後の大規模な修繕と、トラブルが連続しました。そのたびに利益計算をやり直し、致命傷にならない範囲で収益性を保つ工夫を重ねたんですが、正直この物件は「優良な物件ではなかった」というのが今の自己評価です。それでも大家仲間や信頼できる不動産会社、士業の専門家など、会社員のままでは出会えなかった人たちとのつながりができたことは、お金以上の価値だったと感じています。

会社員としての仕事がしんどい時期に、季節の中で自分のペースで生きられる農業という生き方に強く惹かれるようになったのも、ちょうどこの大分市時代のことでした。上司や組織のペースではなく、自然を相手に自分だけのペースで生きる暮らしへの憧れが、少しずつ「もっと田舎へ」という気持ちに積み重なっていきました。

3年暮らしたマンションを出るときは、名残惜しさがありました。空き家バンクの話がトントン拍子に進み、想定より早い退去になったこともあって、未知の古民家暮らしへの不安もかなりあったんですが、引っ越すときはいつも「ここも良い場所だったな」と思うものです。徒歩で映画館やカラオケに行けなくなることが一番の未練でしたが、日田市からでも大分市へは行こうと思えば行ける距離で、今も大家仲間との用事で普通に訪れています。

2度目の決断——2024年、大分市から日田市へ

大分市から日田市へ向かう車窓の風景

仕事がしんどい時期に生まれた農業への憧れは、大分市時代を通じて少しずつ形になっていきました。竹田市・由布市・日田市と大分県内を回った新規就農の相談の記録は、新規就農の相談の流れ|3つの市を回った記録に詳しくまとめています。最終的にたどり着いた日田市は、竹田市や由布市とは違う、熱量のある若手農家コミュニティに出会えたことが決め手でした。

日田市そのものの魅力は、正直なところ大分市より少ないかもしれません。ただ、大分・福岡・熊本の3県にまたがる接続地という立地は、住んでみて分かった意外な利点でした。大分市時代から好きだった久住高原にも、大分市に住んでいたころよりむしろ近くなり、久住からつながる阿蘇にも出やすくなりました。日田市単体の魅力より、好きな場所へのアクセスの良さで選ぶ、という考え方もあるんだなと感じています。

2024年11月、大分市から日田市へ2度目の移住をしました。この移住は、大分市への移住のときのような利便性重視ではなく、「これからどう生きたいか」を優先した選択でした。2段階移住の全体像やメリット・デメリットは、フルリモートで地方移住はできる?会社員の2段階移住体験談にまとめています。

物件探しと手続き——空き家バンクとの出会いから引っ越しまで

空き家バンクの窓口とのやり取りから引っ越しまでの過程

日田での住まい探しは、空き家バンクを軸に進みました。実際の流れを時系列で振り返ると、次のようになります。

時期 出来事
2024年7月 農業関係者とのつながりで大分市から日田市へ日帰り往復。移動と情報収集の疲れを痛感する
2024年7月下旬 空き家バンクの窓口へ初問い合わせ。当時は今の古民家はまだ掲載されていなかった
2024年8月 「いいのが出てきたばい」の連絡で1回目の内見。宿泊費補助制度を利用
2024年9月 2回目の内見(宿泊費補助制度を利用)。僅差の2番手だったが譲ってもらえる
2024年9月下旬〜10月 大家さんと直接契約
2024年11月末 引っ越し完了(初問い合わせから約4か月)

7月の日帰り往復では、移動の体力消耗と情報収集の脳の消耗が同時に来て、正直かなりきつかったんですが、この経験が8月・9月の内見で宿泊費補助制度を使う判断につながりました。日帰りと1泊とでは、行動計画の余裕がまったく違いました。この内見の負担と制度の中身は、移住の内見と宿泊費補助|日帰り往復がきつかった話で詳しく書いています。空き家バンクという仕組みそのものについては空き家バンクとは?古民家に賃貸移住した体験談にまとめました。

契約は不動産仲介業者を挟まない大家さんとの直接契約だったため、インフラの契約も大家さんと分担しました。地域性が絡むガス・水道は大家さん、オンラインで完結する電気は自分で契約する形にしました。引っ越し前後のご近所へのあいさつも、大家さんが同行してくれて助かりました。転出入届からライフラインまでの手続き全体の順番は、地方移住の手続きとやること|遠距離でも漏れない順番にまとめています。

古民家暮らしの立ち上げ——断熱・通信・虫という3つのハードル

古民家で断熱・通信・虫という3つの課題に向き合う暮らし

念願の古民家暮らしが始まりましたが、実際に住んでみると、内見だけでは見えなかったハードルが3つありました。

ハードル 直面したこと 詳しい記事
断熱 断熱という発想のない構造で、光熱費は体感3〜5割増。入居時は居間のエアコンが故障していて灯油ストーブで乗り切った 古民家の賃貸暮らし|住んで分かったメリット・デメリット
通信 光回線が各社とも引けず、ホームルーターも電波が弱くクーリングオフ解約 スターリンクで田舎でもフルリモートワークは可能に
入居直後の「G事件」で妻が号泣。1年以上たった今も妻は慣れていない 田舎暮らしの虫対策|古民家1年で分かったこと

3つとも共通しているのは、内見の数時間だけでは分からないということです。それぞれの深掘りは各記事に譲りますが、いずれも致命傷にはならず、対策の型さえ作れば暮らしとして十分成立する、というのが1年以上住んでみた今の実感です。

一方で、想像以上だったのが地域付き合いの濃さでした。マンション時代はエレベーターでの会釈程度だったのが、日田では回覧板・自治会があり、川や山の清掃といった共同作業も回ってきます。山の清掃は落ち葉を掃きながら歩く、半分登山のようなイベントで、大分市や東京にいた頃には想像もしなかった行事の多さです。正直大変な面もあるんですが、賃貸という身軽な立場だからこそ、面白い体験として楽しめている感覚があります。周りの方はいい人ばかりで、深く干渉してくるような雰囲気ではありません。

お金の全記録——東京・大分市・日田市、5年間の生活コスト比較

東京・大分市・日田市の家計の変化を示す表を見つめる様子

ここまで個別記事で断片的に触れてきた生活コストを、東京・大分市・日田市の3ステージでまとめて比較してみます。絶対的な金額は生活実態の開示につながるため書きませんが、相対的な変化として見てもらえればと思います。

項目 東京時代 大分市時代 日田市時代
家賃 基準 東京時代とほぼ同額のまま、1DKから2LDKへ 大分市時代からさらに半分以下になり、9DKの古民家へ
交通 車なし。カーシェアと電車が中心 車を所有。徒歩・自転車も併用しつつ給油は月1回程度 車が必須。給油は月1〜2回程度
通信 光回線 光回線を継続 ホームルーターを断念しスターリンクへ切り替え。2026年7月時点で月額6,600円(最新料金は公式サイトを確認)。体感で3割強増えたが、光回線が引けない立地でも通信環境を確保できた対価と捉えている
食費 外食と自炊が半々程度 自炊中心へ移行 周辺の飲食店が少なく、自炊がさらに増える

支出差として一番大きいのは、やはり家賃です。一方で日田に来てから新しく発生した費目もあります。灯油代・暖房費、害虫駆除業者との契約費用、そして農機具やDIY工具です。これらは「持っていて損はない、いつかやりたかったもの」なので、ネガティブな出費というより必要経費と捉えているんですが、逆に娯楽費・交際費といった都会型の消費は明らかに減りました。同じ支出構造が縮小・拡大しているのではなく、費目そのものが入れ替わった、というのがこの5年間で一番の発見です。

大分市の移住補助金は、実は後にこの日田への再移住によって一部返還することになりました。その顛末は大分市の移住補助金を賃貸移住者目線で調べてみた記録にまとめています。

移住が事業に育つまで——不動産・農業・民泊、Ryukaという答え

不動産・農業・民泊という複数の柱が1つの事業に統合されていくイメージ

移住の物語は、住む場所が変わって終わりではありませんでした。大分市時代に始めた株式投資・不動産投資と、日田で模索した農業・民泊構想は、自分の中では1本の線でつながっています。

大分市に移る前から続けていた高配当株投資に加えて、2022年12月には不動産投資の1棟目を取得しました。株式投資で身につけた「数字で見る視点」は、そのまま不動産の利回り分析に応用できたんですが、この「個人事業者としての思考」は、後に農業や民泊を事業として計画する際にも自然と組み込まれていきました。投資が農業に応用されたというより、不動産投資そのものが個人事業者としての思考を鍛える訓練だった、というのが今の自己分析です。

竹田市・由布市・日田市と回った新規就農の相談の中では、農業と民泊を組み合わせて暮らしている先輩農家の話を由布市で聞く機会がありました(詳しくは新規就農の相談の流れ|3つの市を回った記録)。当時はまだ具体的な形になっていませんでしたが、この話が後のRyuka構想の伏線になっていたように思います。

もう一つの伏線は、Airbnbで家主居住型の民泊に泊まった体験でした。千葉・舞浜近辺とカナダ・リッチモンドで泊まった「暮らすように泊まる」感覚と、管理コストの低さというビジネスモデルとしての魅力は、家主居住型民泊に泊まって見えた開業のきっかけに詳しく書きました。その体験の余韻が残っていたころ、妻から「あの民泊、私たちもやってみたら面白いんじゃない?」という一言があり、頭の中で全部のピースがはまった感覚がありました。

不動産事業と配当金という、労働時間とは非同期に安定したキャッシュフローがある。そこに、自宅の一部での民泊と、ゼロ距離の農のある暮らしを組み合わせる。この形に、私と妻の名前を由来として、日本語でも英語でも読みやすくブランド化しやすい名前を、と考えてつけたのが「Ryuka(リュカ)」です。Ryukaという事業体そのものの構造や設計思想については、Ryuka(リュカ)とは|会社員のまま夫婦で育てる小さな事業体に改めてまとめています。

今は、会社員を続けながら不動産を3棟運営し、古民家の庭での家庭菜園から半農半Xへと近づいている段階です(半農半Xとは?会社員向け始め方4ステップ)。民泊は民泊新法での届出を軸に、家主居住型での開業を検討中で、3制度の違いは民泊の始め方|3制度の違いを開業準備中の私が整理に整理しました。副業を始める前には会社の就業規則を確認する、という手順を踏んでいて、住民税の仕組みについては会社員の副業は住民税でバレる? 仕組みと普通徴収の注意点にまとめています。

こうして振り返ると、移住は「暮らす場所を変える」だけの出来事ではなく、「暮らしながら事業を育てる」土台づくりでもありました。大家仲間には、自宅とは別に遠方に民泊を持ち、そこへ泊まりに行く二拠点的な暮らしをしている人がいます。いつか自分たちもそうなりたいという野望があります(二拠点生活とは?会社員がリモートで始める費用と方法)。今のところカフェなど自宅以外で働く機会はほとんどなく、日田の住環境そのものが気分転換になっている実感があります。忙しさに追われる暮らしではなく、自分のペースで働き暮らすという意味では、スローライフとは?田舎暮らしとの違いと始め方で書いた価値観とも重なっています。

5年間・2回の移住を振り返って、これから移住を考える方に一般化できると思うことが3つあります。ひとつは、まず候補の市町村の移住担当窓口に直接連絡してみることです。人口流入は多くの自治体にとって重要な課題なので、こちらから相談すれば積極的に協力してくれるところが多いというのが実感です。ふたつめは、補助金は「もらって終わり」ではないということです。5年未満で転出すると返還を求められる制度もあります。申請前に「その後、住み続けられなかった場合どうなるか」まで窓口で確認しておくと安心です。みっつめは、いきなり田舎に飛び込むより、地方都市を経由する段階移住の方が、暮らしの変化に無理なく慣れていけるということです。

まとめ——移住はゴールでなく、暮らしと事業を育てる土台

5年間の移住の記録を振り返り、これからの暮らしを見つめる様子

この記事を書くにあたって、2021年当時の記録も含めて改めて読み返しました。感じたのは、東京にいたころから「サラリーマンをいかにして早期にやめて自由に生きられるか」を一貫して模索していたんだな、ということです。5年前も今と同じことを考えていて、5年前も自分は自分だったんだな、と妙な感慨がありました。今はRyukaを立ち上げようとする日々そのものが楽しく、将来に期待と自信を持てているので、当時の選択には胸を張ってグッジョブと言いたいです。

改めて、この記事の要点を3つにまとめます。

  • 移住は1回では終わらないことがある。東京→大分市→日田市という2段階の移住を経て、暮らしと働き方は少しずつ理想に近づいた
  • 家賃・交通・通信・食費は、絶対額ではなく「費目の入れ替わり」として見ると実態がつかみやすい
  • 移住は目的地ではなく、暮らしながら事業を育てる土台。不動産・農業・民泊という形でRyukaという答えにたどり着いた

これから移住を考えている方には、後悔しないためのチェックリストもあわせて読んでみてください(地方移住で後悔しないためのチェックリスト|2段階移住の実体験)。5年間の記録はここでいったん区切りますが、暮らしと事業はまだ育っている途中です。これからも、この場所で記録を続けていきます。

この記事に関連する18本の記録

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働き方・事業

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