「習字」と「書道」の違いって?
私、実は筆を持ち始めて十余年になります。
幼い頃の習い事として習字を始め、高校時代は書道部主将を務めておりました。
今回のタイトルですが、「習字」と「書道」ってどちらも筆で字を書くから同じものでしょ?とお思いの方は多いと思います。
確かに動作はそうなんですが、根本的な性質は違っていると私は思っています。
ということで今回は「習字」と「書道」の違いについて、やってきた経験から感じることを述べてみたいと思います。
閑話休題。ブログの趣旨とは異なる雑記ネタです(^^)
「習字」は「上手な字」を書くこと
「字を習う」と書くとおり、教育の側面が強いと思います。
習字にはお手本が必ずあります。止め、はね、はらい、など字を綺麗に書くための作法を、お手本に倣うことによって掴んでいきます。
お手本通りに書くという行為は非常に集中力を使いますし、何度も繰り返し練習しなければ上手くなれないため精神力も身につきます。
「上手な字」の感覚を掴めるようになれば、それは一生もののスキルになります。
こういった特徴から習い事として昔から人気がありますね。
自分がやっていた時のことを振り返ると、県習字協会に出品して昇級試験に勤しんでいました。
習字にはお手本がありますから、いかにお手本通りに仕上げられたかということで評価される世界です。
「書道」は「面白い字」を書くこと
習字から書道の世界に入って、強く感じたのは「決して習い事の延長ではない」ということです。
「書く道」ですから、道を極めんとする求道者なのです。武道・剣道…そういう精神と通じます。ケンシロウやバキと同じ志を持った者と言っても差し支えないでしょう(そうなのか??)。
実際に、習字経験なんて関係なく、「面白い字」を書く人が評価されます。
誰かの真似ではなく、紙の上に「自分」をどれだけ表現できたか、それが多くの人に感銘を与えることができれば「面白い」と評価される世界が「書道」だと思います。(抽象的ですが、これ以外に言いようがない笑)
これは私が高校時代に書いた作品です。好きだったバンドの曲を作品化しました。こういうのもまた良し。
お手本はなく、自分らしさや感情表現をぶつけることで評価される「書道」の世界。
それは「習字」とは真逆であり、私が最も衝撃を受け、物事の考え方に大きく影響を与えてくれたなぁと思います。
厳密にはお手本はなくはない
最後に覆すようですが、書道には臨書と呼ばれる分野があります。
臨書は、古代の石碑や古文書、巻物に書かれた文章を題材として書くスタイルです。
いわゆるお手本のようなものです。ただし、その通りにすることが正義ではなく、雰囲気を守りつつアレンジしてもOKです。
臨書は、道を極める3段階「守・破・離」の「守」の経験を積むのに適しているので、私も高校時代は長らく臨書に明け暮れていました。
「習字」と「書道」は性質が真逆
両者とも筆で字を書くという行為なのですが、実は性質的に真逆だなと思います。
「習字」は上手な字を書くことを目指しています。お手本という絶対的な答えに向かっていくことで、誰がみても綺麗と感じる字が書ければよいのです。
一方、
「書道」は面白い字を書くことを目指しています。それは誰がみても綺麗な字という意味ではなく、感性や個性が十分に表現された字のことです。だから絶対的なお手本は存在しません。
優劣をつける話ではないので、これ以上でも以下でもありません。
ただし個人的には、お手本のある習字からお手本のない書道を体験したからこそ、「自己表現」を許された世界に衝撃を受けました。
そして「人と違ってもいい」という考えを持つきっかけになったなと思います。
今の自分があるのは、習字そして書道をずっとやってきたからだなぁと思いを馳せたので、私が生きている証としてこのブログに残しておきます。
徒然なる雑談でしたが、今回は以上です。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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